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2010年 11月 15日
くふやの店主さんとCARTAの店主さんにお勧めされたホームスパンの工房「みちのくあかね会」に足を運んでみました。
![]() ![]() 羊毛を染めた後、糸紬をし、その後織る為に長さを測る機械。この一巻きで3m程。 長さを測った糸は縦糸横糸で織り機で織っていきます。 ![]() ホームスパンは家で織るという意味で、明治時代に英国人宣教師によって伝えられました。現在、産業として行われているのは、世界でもここ岩手のみだそうです。このみちのくあかね会は戦後、旦那様を無くした方や仕事がなかった女性の為に立ち上げられ、現在でも女性だけが働いています。 ![]() ![]() そして、遂に「鈴木盛久工房」へ!昨日見せて頂いた工房と作りや行程はほぼ同じだったのですが、職人さんが実際いたということで、工房の中は張りつめた雰囲気がありました。中学卒業してからこの道40年以上続けている棟梁の仕事姿は迫力がありました。 ![]() 型の修正を行っていたそうです。 ![]() 3日目は実際、手仕事の現場を見ることができました。今はものを作る場所は、”工場”として住む場所や売る場所とは、全く別のところにあることが大半だと思います。盛岡はものを作るところと売るところと住むところが同じ街に一緒になっていて、特に鋳物なんて危険な火を使う物作りの現場です。このような物作りが街の中に残っているからこそ、「てくり」を生み出す土壌になったような盛岡の街の上品で文化的なよい雰囲気ができあがっているのではないかと、納得できた旅でした。 ■
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by monotocoro
| 2010-11-15 23:31
| もの-見
2010年 11月 15日
バタンキューで寝たけれどぴったり8時に起き、二日酔いなしで支度終了。日曜日が定休日だった釜正に早速電話を入れてみました。「今日は火を使っているので、危ないので見学は無理です。」と断られ、他の工房では年に2〜3回の火入れしかしないと聞いていたのですごいタイミングだったのか、お決まりの文句なのかは判りませんが。しかしやっぱり諦めきれないので、取り敢えずお店に向かってみたものの、手応えなしでした。
次に、近くの南部紫紺染めのお店「盛岡 紫紺堂」に向かいました。工房の見学はできませんでしたが、大変面白い話を沢山お店の方に聞けました。 ①絞りは全て内職で、盛岡に住んでいる主婦の方たちに出している。1~3カ月中には1年以上もかけて絞るものもある。内職を出来る人が現在は50人位に減って来ている。家で内職をしているお母さんを見て、娘さんが成人式にお母さんの絞った生地で着物を仕立てた方もいた。 ②南部藩政時代には藩の保護下で生産されていたが、明治の時代になり、伝統技法を伝える人が完全に途絶えてしまった。そこで県が、昔やっていた人を探して色々研究した結果再興させた。その過程が、宮沢賢治が寓話として書いている。その話は教科書にも載るようになった。 →「紫紺染めについて(青空文庫)」 ③一代目の方のデザインは小さめの柄の繰り返し模様が多く、二代目のデザインは大柄で大胆なものが多い。二台目デザインの橘の花の反物を店先に飾ってあったが、大変高価なもので、最近ではこの柄を絞れる人が一人くらいしかいないので、増々高価になっている。 →このページに橘のデザインの写真がありました。 そしてお昼は中津川沿いにあった素敵なお店「くふや」さんにて。 ![]() たまたま入ったお店だったのですが、大変美味しくて雰囲気もよかったです。そして素敵な店主さんとお話しして、またまた盛岡のお勧めスポットを紹介頂きました。 ![]() ござ九と同じように明治初期の姿のまま営業を続ける雑貨店の「平野商店」。この辺りは海から塩を運んで来ていた牛の休憩地点だったらしく、商店には藁でできた牛の口につける器具も未だに普通に他のたわしなどの日用品と同じように売られていました。 ■
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by monotocoro
| 2010-11-15 22:24
| もの-見
2010年 11月 14日
お昼は友人がオーナーさんと知り合いでお勧めされたカフェ「CARTA」に向かいました。お店には七尾旅人の盛岡ライブの告知チラシが置いてあり、どうやら店主さんは盛岡周辺のイベンターのようです。お店はてくり6号の表紙にもなっています。
おいしい丸パンサンドを片手にもぐもぐしながら、のんちゃんと話し合い。鈴木盛久工房で職人さんの仕事風景を明日見学できるかもしれない、本日休みだった釜定や南部絞りの工房も見えるかもしれない、とのことでこのまま盛岡に滞在することに変更しました。お店のゆったりした雰囲気に時間の流れもゆったりとしたのかもしれません。店主さんにそのことを話すと「そちらの方がよろしいかと思ってました」とニコリ。色々なお勧めのおしょくじ処の紹介を受けました(笑)。 旅では欲張って色んな場所を回ろうとタイトなスケジュールを組みがちですが、後から振り返ってみると、色んな工房に1~2時間程滞在してゆっくり話を聞くことが出来て、印象に残った旅になったと思います。一箇所の町に3日間滞在、今後色んな場所でやってみたい旅スタイルになりました。 日曜日に開いていた工房を探すと、「南部古代型染」蛭子屋小野染彩所でした。南部古代型染は古く南部藩時代から伝わる染物です。お店は2階が資料室になっていて、昔から伝わる型や染め方の説明、インドネシアのバティックや中国のなどの世界各地の型染めの貴重な資料がありました。工房は同じ場所にあるのですが結構大きな規模と見受けられ、聞いてみたところ一般公開はしていないとのことでした。写真でみた感じでは、工房というより工場に近い雰囲気でした。 ![]() ![]() そして、この旅で一番異空間だった平興商店へ。菊の司という大きな酒造所の向いにある小さな酒屋で、「もっきり」が格安で飲めて、面白い場所だよ、という旅前の入手情報を基に訪れてみました。お店に入ると昭和な空気が流れていて、大きなクーラーの裏にある長テーブルを囲んで都築響一のスナックの本に出てきそうな、おじさんたちが数名。ムッ、と異様な雰囲気を察しつつ、お店のおばさんは大変感じのよい方で、「もっきりをお願いします‥」と言うと「どのもっきりにします?」と聞かれたました。てっきり日本酒の銘柄だと思い込んでいましたが、もっきりとはコップすれすれに日本酒を注ぐことだったそうです。どんどん増えていくおじさんたちに囲まれながら、もっきりを数杯。上に平興学校と書かれた紙が吊り下げられていて、おじさん曰く「ここは色んな人が集まって、色んな話が聞ける場所。だから学校。」なんですって。 ![]() 白龍の近くにある渋い喫茶店のティーハウス「リーベ」で酔い覚ましに美味しいシナモンティーを頂いたものの、ホテルに着いた途端バタンキューと寝てしまいました。 ■
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by monotocoro
| 2010-11-14 23:24
| もの-食
2010年 11月 14日
前日に焼き肉と盛岡冷麺を食べながら、2日目の予定を立てました。何件か南部鉄器の工房を回り写真を取らせて頂いて、うまくいけば昼頃にレンタカーでそのまま弘前の方に移動するというものでした。
一件目は昨日行った釜正。なんと日曜日定休でした。。。次に、「鈴木盛久工房」へ。シンプルモダンデザインの鋳物が多かった釜正に比べて、伝統的な装飾も残した商品が多く見られました。店主さんが大変気さくな方で色々話して頂けました。鈴木盛久工房は1625年に創業の老舗で、現在の建物は明治時代の大火事で焼けて立て直してからずっと変わっていないこと。現在の15代目はなんと女性だとのこと。(店主さんは旦那様でした)店の奥の工房では今も変わらず鋳物を作り続けていること。等々。ただ、工房は日曜日はお休みでした。「親方に明日聞いてみるから、明日電話してみて。お昼の時間以外は大丈夫だよ。」と頼もしい言葉を頂きました。また、鉄を溶かして流し込む作業は年に3〜4回程しか行わないとのことで、これは大変意外でした。いつかはこの鉄瓶を買いたい、と思いながら数点小さなものを買い外へ。目の前にあった「鈴木主善堂」へ。ここでも仕上げが変わった色合いの鉄瓶があったので、店主さんに作り方の質問をしていると「奥の工房見てみる?」と言って頂きました。棚からぼたもち!日曜なので職人さんの姿は無かったのですが、作り方を詳しく説明頂きながら工房に入れました。 まず鉄を流し込むための型を粘土で作ります。写真の左側に積み上がっているものがその外枠です。その外枠は何度か型を綺麗に掃除して、使い回しをするそうです。 ![]() 次に中の型を粘土で作ります。写真の机の左手に並んでいるものです。こちらは鉄を流し込み冷まして型から抜く時に、全て壊す必要があるそうです。 ![]() この型は注ぎ口や蓋などのもの。最近ではほとんど工房で作っているものは鉄瓶か茶釜位で、小さなオーナメントや卓上で使うようなものは外注しているそうです。こちらの工房でも、鉄を溶かして流し込む作業は年に3〜4回程しか行わないとのことで、熱心なファンの方は毎年見学に来ているそうです。 ![]() こちらは型から出した直後で、まだ銀色をしていました。ここからバリを取ったり、錆び止めのために漆を塗って焼いたりと、商品になって店頭に並ぶ迄にまだまだ行程があります。 ![]() 職人さんの机は、型をきれいにつくるための道具が沢山ありました。人によって自分に合うものを長年かけて調整していくそうです。 ![]() 鉄瓶は形やサイズはほぼ一緒でも値段に幅があって、なぜだろうと思っていましたが、型が一回鉄を流し込んで使えなくなるもの、何度も使えるものなどで、型を制作する手間の具合で値段が違って来ているそうです。例えば、”姥口”と呼ばれる本体と蓋の高さの違いが無いデザインのものは、型が1回しか使えないので、高価になるそうです。こういう製造行程や構造の話を聞いて初めて、そのものの価値が分かりました。モノの価値は見ただけやちょっとした知識くらいでは計り知れない程、奥深い、のです。 ![]() ![]() 盛岡城跡公園の紅葉。真っ赤な葉っぱの方は、見たことがないくらい葉っぱが大きくて、おおもみじという種類。 ■
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by monotocoro
| 2010-11-14 20:11
| もの-見
2010年 11月 13日
そしてこの旅の大きな目的のひとつの「光原社」に辿り着いたのが日が傾きかけた頃。盛岡の街の主要な場所の端から端まで歩いたことになります。
![]() 光原社は宮沢賢治の注文の多い料理店を出版した会社跡地で、現在では盛岡では有名なお店になっています。のんちゃんがここに行けば、なにか職人さんの情報を知ることができるかもしれない、と旅の計画の最初に話していたところです。また色んな方に行く前にもオススメされました。2010年6月発刊最新のてくり11号は一冊丸ごと光原社特集でした。 ![]() 間口は狭めですが、奥に入っていくと中庭がありました。見たことも無いような真っ黄色なもみじがありました。お店は南部鉄器や木工品や漆器や籠や小鹿田焼きなどの”らしい”もの以外に、エスニックなアイテムが沢山あったのがどれも格別でした。イランのギャッベや色の綺麗なガラス製品、アフリカの泥染の麻布、インドの銀アクセサリー、メキシコの器、南米のニット製品などなど。どれも各国の雰囲気が伝わってくる確かな手仕事製品ばかり。また、意外にfogリネンや若手のモダンな器作家ものなどもありました。店主さんにお話をちょっと伺ったところ、南部鉄器で見に行ける工房が数件あること、それ以外でも浄法寺塗りなどもオススメされました。 ![]() 光原社の中には、お店以外に珈琲店もありました。そして大変良かったのが、資料館です。こちらは奥の右手にあるのですが、店主さんに声をかけると無料で入れます。様々な東北の民芸品に加えて、益子の濱田庄司館で見たことがある家の形をした大きな陶器や、芹沢銈介や棟方志功の作品も見ることができます。 ![]() ■
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by monotocoro
| 2010-11-13 22:25
| もの-見
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